素敵なことがあった!
素敵なことがあった!
iPhoneのバッテリーを交換するため表参道のアップルストアに行き、1時間待つこととなりました。ランチを食べたいのですが、私、活字中毒なので読むものがないとそわそわするから、音楽雑誌でもと思い表参道交差点の山陽書店に。
二階への階段の棚に、「シティポップ短編集」を、見つけて、なんかちゃちい名前だなと手に取ってみたら、昔、ティーンの時に読んでいた、片岡義男、銀色夏生、など80年代の大好きな作家の短編がたくさんあります。今や、小説もkindleになって、単行本は買ったことがついぞなかったけど。これはやっぱり出会いだから、と思い購入しました。山陽堂のママとも昔話ができたしよかった。
さて、ヒルズのハンバーガ屋でチーズバーガー食べながら、読み始めましたが、なんて新鮮なのか、と頭が晴れるような気持になりました。
これらの短編は、ニューヨーカー短編集(アーウィンショーとかカポーティーとか)と似て、匿名性が強く、俗人性もなく、かつ湿り気がない、というまさしく、シティポップの定義を重なる小説です。
私は、小説を読みだした小学生の時から、日本的な湿り気や土着的なにおいのする小説が嫌いで、アメリカ文学の翻訳ものか、大藪晴彦、生島治郎、石原慎太郎など、乾いた文体の作家が好みでした。音楽も同じで、空気感が透明で街の空が見えるものばかり聞いていたような気がします。
今の時代の小説や音楽は総じて(すべてではないですが)、さっぱりしているようで実は、人の奥底の粘っこいものを映しているものが多く、陰に思えてしまうのです。陽の部分を熱のあるスタイリッシュな形で表現してくれればいいのになあ、と思っていたところで、この本に出合えました。
昔からあまり変わっていない表参道という場所にいることも相まって、読みながら、80年代の自分の、地に足のついていないふわふわした時代を思い出して、なんかReminiscingになってました。
でも、昔好きだった、ドライだけど濃密な文学や音楽がいまでも自分の中に明確に存在していることがわかったし、昭和の時代のあの感覚は、決して古臭いものではなく、逆に、普遍な新しいものではないかと改めて発見した次第です。
都市が生む文化を、都会という派手な面からだけでなく、もっと光と影の文脈から作り出していくことが、シティポップなのかな、と思いました。
"街角は いつでも 人いきれ
それでも陽気なこの街
いつでもおめかししてるよ
暗い気持さえ すぐに晴れて
みんな うきうき
Down townへくり出そう"
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